遙遠的許地山(2) 緬甸那辺
許地山が1922年に発表した「頭髪」は、僅か2頁の短い作品です。その内容は、ビルマの或る郊外の道を当時の社会運動の指導者たる一人の比丘が連行されて行く、一連の光景です。多くの人々が比丘を見送る為に集まり、女性達は次々と地面に自身の黒髪を敷き、(比丘の足を泥で汚さぬ為)その上を歩いて貰おうとします。
この物語の語り手である“私”は人々の姿が消えた後で、かこち顔の少女に出会います。彼女は自分の髪の長さが足りず、地面に敷くことが出来なかったと嘆いていたのでした。“私”は傍観者であり、少女の思いに共感することは出来ませんが、比丘が釈放される頃には、少女の髪も充分長くなるだろうという言葉をかけて別れます。
物語の背景にはビルマに於ける反殖民地運動の魁けをなしたYMBA(仏教青年会)、あるいはGCBA(仏教徒団体総評議会)の事績が反映されているかと思われますが、私はずっと以前からこの物語を知っていたような気がしてなりませんでした。
後に、長壽王本生等の古い経典を読むようになり、ふと学生時代に仏教史もしくは仏教文化史の参考書として読んだ数冊の書籍の中で言及されていた一つの経典を想い出しました。
それは燃灯佛授記であり、釈尊が前世に於いて過去佛より必ず佛になるであろうとの授記を得たと言う内容の経典なのですが、経典の本文は読んだことがありませんでした。そこで、大蔵経データベースを検索し、佛説太子瑞応本起経等に眼を通しました。
20世紀の情景とはとても思えない、地に髪を敷く行為といい、少女への預言めいた言葉といい、「頭髪」の構成要素は燃灯佛授記をそのまま踏襲しているように思えます。
基督者であった許地山が仏典に託して何を伝えたかったのかについては、アジア史に照らし合わせて推測することは可能でしょう。然し今日の私が自身に引きつけて考える時、やはり仏教的な方向に受け取りたく思います。
必ず成仏を遂げるであろう、或いは必ずや弥陀の来迎を受けて極楽浄土に生まれ変わるであろうということばは、「頭髪」作中の少女が明るく去って行ったように、なにがしかの困難の中にある人々にとっては一筋の光明となり、とりあえず明日もまた行こうという気持ちにも繋がるでしょう。
保証も無いのに愚かなことだと言われたとしても、こうした考えは今日に於いても私を含む少なからぬ人々にとっては有効な処方箋なのに違いありません。
遙遠的許地山(1) 緬甸幻想
或る小説を読んで、何か現実離れのした、神秘的な印象を持った場合、その原因として一つには小説の狙いがそもそも不思議な世界を描くことにあるというのが考えられますが、その他に、読み手の側の知識が不足している為に、何か薄霧に遮られたような不思議な感じがするということもあると思われます。
私は許地山の小説に、何時も何か不思議な、幻想的な印象を受けるのですが、その原因は恐らく前述の両方にあると思われます。
許地山の描く世界は、確かに同時代の中国の作家達に比べて一風変わった所があり、巴金名誉主編とする選集では許地山の作品に「霊異小説」という副題を付けてあります。霊異という評価が妥当かどうかはひとまず措くとして、現代中国の読者にしても、そのような印象を受けるのだということが伺われます。
許地山の作品中最も幻想的な雰囲気を持つものとして「命命鳥」と「頭髪」を挙げたいと思います。二つとも1920年代のビルマを舞台にした物語です。私はこの両作品を非常に気に入っており、自己の無能も省みず翻訳したことがあります。
然し、何年もの間、両作品から受ける幻想的な印象は、作品の舞台が昔日のビルマであって、その背景を自身が好く理解出来ないでいることに起因するものだと思い込んでおりました。けれど、後になって実はそうでは無いかも知れないと、自分なりの解釈を一応は得たのでした。
「命命鳥」は英国による殖民地支配が決定的となった時代のビルマを舞台に、若い男女の愛の行方を描いた悲しくも美しい物語です。
私は時代背景を理解すべくビルマの歴史や文化に関する本を図書館で探し、何冊か読みましたが、町の図書館には専門的な書籍は置いていないもので、何かもう一つ漠然とした印象のままでした。
「命命鳥」の独特の世界への門扉を開けてくれたのは仏典でした。最初は作品中に名前の挙げられている「八大人覚経」「摩鄧女経」を読んで見ました。然しそれでも何か腑に落ちません。それでも腑に落ちないまま、許地山の作品にはどうにも惹かれる所があると思っておりました。
そして、最初にこの小説を読んでから数年も経って、全く別の目的で浄土三部経を読み返しておりますと、「命命鳥」の主人公敏明がシュエダゴンパゴダの目映き黄金の光に誘われて入って行く、不思議に調和した世界の意象が「阿弥陀経」そのものでは無いかと思われたのでした。それは作品中敏明の言葉の中にも表れていることではありましたが、私にとってはこの時初めて作品世界が腑に落ちたと感じたのでありました。
その後、題名の命命鳥は共命鳥とも呼ばれることから、共命鳥に関する仏典も読み、ようやっと自分なりにこの作品を読了したのでした。
中国現代名作家名著珍蔵本『霊異小説』 許地山 上海文芸出版社
民藝趣味 (2) 思い出の硝子器
私が「民藝」とはじめて出会ったのは、二十代初め頃に出掛けた松本への一人旅でのことでした。
信州松本と云えば「民藝」と関わりの深い街であることは周知のことと思いますが、当時の私にはそんな基礎知識すらありませんでした。では何故松本を訪れたかと言いますと、それは文学的憧憬の為でありました。ですから旅の第一の目的地は県の森にある旧制松本高等学校記念館であり、第二の目的は安曇野の風光を体験することと碌山美術館でした。そして、此の旅で宿泊したホテルや一休みした喫茶店で松本民芸家具に魅了され、ふと立ち寄ってみた松本民芸館で「民藝」とは何かを知ったのでした。
旅の最後に、記念となる民藝の品をと思い、蔵造りの商家が印象的な中町にあるちきりや民芸店を訪れ、そこでそれまで見たことも無い美しい硝子器に出会いました。
私が眼を留めたのは、美しい気泡が螺旋状に揺らめいているように見える、少し琥珀がかった透明な色の硝子コップで、それは小谷眞三作の倉敷硝子なのでした。
私は、その大ぶりの硝子コップを求めたのでしたが、その際、お店の御主人が教えて下さったのは、“こうした手作りの品は同じ型であっても一つ一つに違いがありそれが個性という物だから、間近に並べてみて色々な角度から眺めていると、屹度自分の好みに合った一つが見つかる”のだと言うことでした。私はその通りにして一つを選びました。そしてその後、陶磁器などを選ぶ際にはいつもこの方法を実践するようになりました。
松本の思い出、新旧のパンフレット類
この“松本の思い出”の倉敷硝子のコップで二十代の頃の私はライン・ワインなど痛飲したものでしたが、その後病気をしてあまりお酒を飲めない体質になって以来、ずっと食器棚の隅に飾らせたままとなりました。
然し、それから20年も経って岡山に住むことになるとは夢にも思わぬことでした。
小谷眞三さんの作品は昔に比べて入手し難くなったと言われておりましたが、岡山在住の間、一度天満屋百貨店で展示即売会が開催されたことがあり、此の度は“岡山の思い出”に小谷さんの硝子器を買い求めようと出掛けたものでした。
この時眼を引いたのは、深い色合いのワイン杯でした。確か、赤・青・琥珀の三色があり、私は青が好いと思ったのですが、平素から何故か赤を好む夫が「絶対赤が好か、赤ば買いなっせよー。」と主張するので赤を購入したのでした。
所有する民藝の硝子器を写してみました。右の小さめのコップと青いぐい呑みは小谷栄次作、ポットは仙台の光原社で購入した品です。
硝子器に限らず、我が家の食器類は何れかの土地の記憶を伴っております。
民藝趣味(1) 家具の手入れ
以前、NHKの或る番組で“最近民藝が再び注目されている云々”と言うようなことを放送しておりました。私は「そうかなあ…?」と俄には信じ難い思いでした。
私自身は、まま民藝好きな方かと思います。以前家に遊びに来た友人が我が家の調度を見て「民藝喫茶~~だね。」と云ったことがあります。松本民藝家具と藍染めの敷物や掛け物、それに厚手の染め付けの器等が揃うと“民藝趣味”と認定されるのかも知れません。
若い頃に「転勤のあるうちは良い家具を買わぬが好い」と聞いたことがあります。成程その通りではありますが、そうなると我が家では夫の定年まで“傷ついても構わないような間に合わせの家具”で生活することになり、大層味気ないことです。従って、好きな調度に囲まれて暮らしたかった私は、20数年の間に、松本民藝家具と共に七度の引っ越しを経験することととなりました。
今回の引っ越しにて、梱包前の家具。食器や書籍などを出してしまうとまるで倉庫に並んでいるような眺めです。
さて、引っ越しをするとどうしても家具に埃などの汚れが付着してくすんでしまいます。そこで暇を見ては少しずつ手入れをしております。具体的にどうするのかと申しますと、表面の汚れを拭き取った後、天然の植物油を塗布するだけのことですが。
使用する物は、右から晒しの布、爪楊枝、椿油、ガーゼ、です。
先ず、固く絞った晒しの布で表面の汚れや水の痕などを拭き取ります。
細かい部分は晒しを爪楊枝に巻き付けて拭きます。
その後、ガーゼ布に少量の椿油を付けて全体に満遍なく塗布します。一度にべったりと塗るのではなくごく薄く木目に沿って軽い力で磨いてゆきます。(写真がピンボケなのは右手で拭きながら左手で撮影したからです。)
細かい装飾の部分はガーゼを爪に引っかけるようにして磨きます。
お手入れ後。写真ではあまり分かりませんが艶が蘇ったように思います。上手に油膜が出来ますと普段はから拭きだけで充分になります。
家具の手入れは確かに手間ではありますけれど、私は何時の間にか我を忘れて作業と一体化するような一時に充足感を覚えるのです。