鷄毛雜記

趣味と日々の雑感の記録。読書忘備録、手芸、人形等々の事どもについて。

遙遠的許地山(1) 緬甸幻想

或る小説を読んで、何か現実離れのした、神秘的な印象を持った場合、その原因として一つには小説の狙いがそもそも不思議な世界を描くことにあるというのが考えられますが、その他に、読み手の側の知識が不足している為に、何か薄霧に遮られたような不思議な感じがするということもあると思われます。

私は許地山の小説に、何時も何か不思議な、幻想的な印象を受けるのですが、その原因は恐らく前述の両方にあると思われます。

許地山の描く世界は、確かに同時代の中国の作家達に比べて一風変わった所があり、巴金名誉主編とする選集では許地山の作品に「霊異小説」という副題を付けてあります。霊異という評価が妥当かどうかはひとまず措くとして、現代中国の読者にしても、そのような印象を受けるのだということが伺われます。

許地山の作品中最も幻想的な雰囲気を持つものとして「命命鳥」と「頭髪」を挙げたいと思います。二つとも1920年代のビルマを舞台にした物語です。私はこの両作品を非常に気に入っており、自己の無能も省みず翻訳したことがあります。

然し、何年もの間、両作品から受ける幻想的な印象は、作品の舞台が昔日のビルマであって、その背景を自身が好く理解出来ないでいることに起因するものだと思い込んでおりました。けれど、後になって実はそうでは無いかも知れないと、自分なりの解釈を一応は得たのでした。

「命命鳥」は英国による殖民地支配が決定的となった時代のビルマを舞台に、若い男女の愛の行方を描いた悲しくも美しい物語です。

私は時代背景を理解すべくビルマの歴史や文化に関する本を図書館で探し、何冊か読みましたが、町の図書館には専門的な書籍は置いていないもので、何かもう一つ漠然とした印象のままでした。

「命命鳥」の独特の世界への門扉を開けてくれたのは仏典でした。最初は作品中に名前の挙げられている「八大人覚経」「摩鄧女経」を読んで見ました。然しそれでも何か腑に落ちません。それでも腑に落ちないまま、許地山の作品にはどうにも惹かれる所があると思っておりました。

そして、最初にこの小説を読んでから数年も経って、全く別の目的で浄土三部経を読み返しておりますと、「命命鳥」の主人公敏明がシュエダゴンパゴダの目映き黄金の光に誘われて入って行く、不思議に調和した世界の意象が「阿弥陀経」そのものでは無いかと思われたのでした。それは作品中敏明の言葉の中にも表れていることではありましたが、私にとってはこの時初めて作品世界が腑に落ちたと感じたのでありました。

その後、題名の命命鳥は共命鳥とも呼ばれることから、共命鳥に関する仏典も読み、ようやっと自分なりにこの作品を読了したのでした。

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中国現代名作家名著珍蔵本『霊異小説』 許地山  上海文芸出版社