有象無象袋 その後
前回ご案内しましたプチ個展「えいじのギャラリー油絵展」は無事終了致しました。今回はその様子をご紹介したいと思います。
会場は上京区のbeー京都さん。趣ある町家ギャラリーの一部をお借りしての展示でした。
「えいじのギャラリー」の展示スペース、SMからF6号の油彩画七点の下の展示台に私の手芸品を並べました。
私としては主婦の手遊びの賑やかしという心算でしたけれど、ギャラリーの館長さん並びにプチ個展に同時参加された作家の皆様方に作品として見て頂き大変光栄でした。ここに改めて感謝申し上げます。
東京からわざわざ駆けつけてくれたお客様(倫敦生まれのぶみちゃんとちゅんちゃん)と記念撮影。
絵画モチーフを袋物として表現するとなると一工夫必要になります。
複雑な形は分割して蓋付きの袋物に仕立てました。実はこの着想は昔の中国の荷包から得たものです。
こんな形をして実は香袋としての実用性もあります.好みのお香を懐紙に包んで入れてみました。
前回はご紹介出来ませんでしたが、一番新しいのがこちら。
原画はこちらです。
今後の機会もあるものと信じてこれからもこうした袋物を拵えて行きたいと思っております。
ご参考までに、包泉万著『中国民間荷包』 百花文芸出版社(天津)
こちらは中国の荷包の歴史、制作技法、文化的意義等々について総合的に紹介した書籍です。このような本が翻訳出版されれば我が国の手芸好きの方々にも益があると思うのですが。
私の袋物の源流は中国の荷包なのです。
有象無象袋 (抽象的意匠の手芸品)
抽象的意匠の小物たちです。初めはほんの遊び心で「ブログ・えいじのギャラリー」主人描く所の油彩画「有象無象」系列のモチーフの一つを基に、古布を用い袋物として立体化してみた所、すっかり興に乗って仕舞い、刺繍・アップリケなど色々工夫をしてここまで増えたのでした。
こんな絵が
こうなったり、
こんな絵が
こうなりました。
こちらは頭它袋の作り方を踏襲した小袋に、刺繍とアップリケで抽象的意匠をあしらいました。下に敷いてあるのは抽象画を縫い取りした暖簾です。今様に気取って申しますと“抽象絵画と手芸の異色のコラボレーション”と言ったところでしょうか。(嗚呼恥ずかしいこと…)
さて、来る4月25日~30日、プチ個展「えいじのギャラリー展」が開催されます。趣ある町屋ギャラリーの一壁面をお借りしての小規模な展示となりますが、これら有象無象袋たちも賑やかしとして並べてみようと考えております。
姫ちゃん達も応援団として連れて行く予定です。
詳細は以下を御参照下さい。
民藝趣味 (4) やきものの器 その2
堅牢で実用的な民藝の器と言えば、砥部焼を思い浮かべる方も多いのではないかと思います。実の所、私が初めて購入した民藝のやきものは砥部のくらわんか手の飯椀でした。その時は何年か後に松山に住むことになろうとは思いも寄らぬことでした。
この飯椀は丈夫なのは勿論のこと、使い勝手も良く、毎日使っていても全く飽きが来ない為、今日に至る迄二十数年間ずっと使い続けております。とは言え、後に松山に住まなければ、私の所有する砥部焼はこの飯椀きりで終わっていたかもしれません。
松山では多くの飲食店で砥部焼が使われており、至る所で砥部焼を販売しておりましたが、私は市内の至極便利な場所にある梅山窯の直売店が好きでした。うどん屋さんで使われるような定番の商品から、気の利いた意匠の新しい商品まで、豊富な品揃えの中から、贈り物に、自宅用にと選ぶのは楽しいものでした。
民藝の器の好ましい所は、窯元の定番商品がずっと変わらず生産され続けていることだと私は思います。お気に入りの器が後々割れてしまったとしても、また同じ型の品を手に入れることは不可能ではありません。
一方、これが所謂作家物、或いは作家的傾向の強い窯元の器となりますとそうは参りません。
松山在住中、東窯・大東アリンさんの器も度々購入しました。砥部焼らしい確かな造形と砥部らしからぬ淡い色彩、そしてお手頃価格が魅力的で、女性向きの贈り物として重宝しました。ところが、自宅用にはゆっくり好みの物を揃えて行けば好いと悠長に構えておりましたところ、意外に早く転勤となり(何しろ夫に辞令が出てから十日後には転居しているのですから)、結局このマグカップひとつしかありません。現在はこの型は生産されていない模様ですから実に惜しいことでした。
こちらもこれきりしか持っていない蘇泥窯の器。青磁の色合いが気に入って盛岡で求めたのですが、それが光原社だったのか川徳デパートだったのか定かには憶えておりません。東北を離れてからは同じ窯印を見掛けることはありませんでした。
こちらは一昨年ギャラリー巡りをした折に偶々夫が気に入って購入した品。北桑窯・伊藤五美さんの白磁です。
夫の申すには、昨年の個展では大分雰囲気が変わっていたとのこと。作家物の器は私に於いて偶然ある一時期好みが合えばやって来る一期一会の器と言えそうです。
桜花に寄せて
桜花酣の季節です。
先日所用の為伏見方面へ出掛けた折りに、道すがら見掛けた桜花爛漫の光景です。
さて、数年前インターネットで香港のラジオ放送を聴いておりましたら、私と同世代と思しき主持人(司会者)の方が“日本旅行の醍醐味は京都の桜と札幌の雪祭りを観ること”といった主旨の話をされていました。私は、成程京の桜というものは観光に於ける世界的名牌(ブランド)なのだなあ、と感心致しました。
私自身、歳寒三友にも四君子にも入っていない桜花を殊更に愛でる趣味はありませんが、何かの折に思い掛けず満開の桜花に出合えば、やはり華やいだ心持ちがするのも事実です。
桜が無いことで知られる東福寺。塔頭の塀越しに見付けた桜花の眺め。この花喰鳥はヒヨちゃんでしょう。
桜の品種は多々ありますが、個人的には山桜と大島桜が好きです。一斉に咲き一斉に散る染井吉野に負の聯想を掻き立てられるのとは対蹠的に、花と葉が一緒に開く種の桜には一種清新な生生不已のことわりを見る思いがするからです。
以前、熊本方面を旅行した時、小天から山越えして熊本市内へ向かう峠の道で、山の樹々の中に存在感を示す山桜の姿を眼にして、心躍るものを感じました。漱石の『草枕』への聯想も重なり、それは私の心中に一つの意境となって残されております。然し残念ながら今年は山桜には出合っておりません。
家の近くにある大島桜。
名所ではない「京の桜」を御紹介致しました。
民藝趣味(3) やきものの器
やきものの器の好みに関して、私は必ずしも民藝一筋という訳ではありません。若い頃は土ものの器や北欧製の食器なども持っておりましたが、自分の好みが定まってくるにつれて、磁器の器に入れ替わって行きました。
私のやきもの選びの基準は、先ず堅丈で手に馴染むこと、飽きの来ないすっきりとした意匠であり、器単体の色・形がどうであるかということよりは料理を盛った時どう見えるか、そして、万一破損して仕舞った時、悲しまずに済む程度の金額に収まるかどうかと言うことです。
これまでの人生に於いて、様々な地域に住み、その土地に根ざしたやきものを見る機会に恵まれましたが、自身の基準に照らし自宅用に求めたやきものは、その大半が民藝の範疇に入る物でした。地域という点から言えば、肥前磁器が多くなります。
その中で一番多く所有しているのは有田大日窯の磁器です。
分けても気に入っているのは淡い青白磁の器です。やや緑がかった釉薬の色と薄作りの無駄の無い意匠が相俟って、古風にして清雅の趣。この器は盛岡の光原社で求めました。
仙台の光原社で買った品もあれば、後に窯元を訪れ求めた品もあります。
有田を訪れますと、多くの窯元で現地価格で購入することが出来ます。
私は大日の器に出会ったことで、広く肥前磁器の魅力に気付かせて貰いました。そして、有田、大河内山、波佐見などのやきものの里を幾度も訪れたものです。
大日窯の煙突
さて、料理を盛り付けるとこんな感じです。
豆腐ステーキ
大根の羹
いとこ煮
民藝趣味のティータイム
民藝ではありませんがよく使う肥前磁器としては
白山陶器の大皿。
お馴染み香蘭社の鉢。これだけは頂き物です。
大きな器の場合、どうしても民藝以外の品を選んでしまいます。現在のところ器は充分足りており新しく欲しい物はありませんが、良き出会いがあれば民藝の大鉢を一つ入手したいと思っております。
創作姫だるま
新しい姫だるまが出来ました。
高さ約3.5センチの豆姫だるまです。抱珠姫と名付けました。
私は数年前から豆姫だるま作りを続けています。最初は伝統のお手玉人形を基に小さいサイズに作っておりました。
その内創作意欲が湧いて来て、自分なりに工夫した創作姫だるまを作りました。
左が松姫、右を竹姫と呼んでいます。大きさは大体3センチから3.5センチ。
実の所、今回の抱珠姫は松姫に袖を付けて天然石を持たせただけのことなのですが…。
竹姫の方も最近完成型が出来ました。
豆姫だるま作りには、以前は端布を用いていたのですけれど、最近思う所があって、長年溜め込んで来た古布の中から良い物を選んで用いるようになりました。一つ一つ、可愛くなるように、今一つだと思う箇所は幾度でもやり直して、丁寧に作っております。